文理選択の仕方について

文系、理系といえば、数学ができるかどうか、ひいては論理を扱えるかどうか、というような視点で語られることが多い。

 

こういったせいで、数学ができないから文系を選んでしまう人も多い。

 

しかし、個人的な意見を言わせてもらえれば、文理選択は「社会か理科か」である。

 

たしかに、理系を選択すれば数学はⅢまで必要だし、理科科目も数学的な問題が多い。

 

一方の社会は数学とは無縁のような科目である。

 

こういったことから数学起点に考えてしまうのも分かる。

 

けれども、数学というのは計算に慣れてさえしまえば、あとは解き方の理解を中心に学習を進められる。

 

数学が苦手というのは単に計算が苦手という場合が多いのだ。

 

その計算を早く正確にできるようになれば、そんな苦手意識はなくなり、みるみる成績が伸びる。

 

こう考えれば、数学起点で文理選択に挑むのはもったいない。

 

そして、最ももったいないのは、理科が嫌いな理系と社会が嫌いな文系である。

 

なぜか。

 

それは記憶の仕組みによる。

 

記憶というのは

 

①ストーリー

②理解

③興味

 

という三つの要素のあるものが定着しやすい。

 

もしも理科が嫌いなのに理系に進んでしまったならば、全く興味の持てない化学や生物の、膨大な量の用語を暗記しなければならない。

 

社会も同様である。

 

さらに、好きなことであれば自ずと知識を関連付け、ストーリーと理解を想像することができる。

 

たとえば、生命活動と化学を関連付けたりできる。

 

酸化した物質は分子レベルでより安定した状態になる。

 

一方酸化した鉄は脆い、というところから、ミクロの安定はマクロの不安定という理解が得られる。

 

この理解は、生命活動がそのマクロの構造を保つために肉体の酸化を防ぐ活動だと言い換えることができるだろう、という気づきにつながる。

 

社会も同様である。

 

義和団事件によってロシアの南下政策が進み、満州が実質ロシア領となった。

 

この南下政策が日本とぶつかったのが日露戦争である。

 

日露戦争は日本の勝利に終わったが、ロシアと再戦すれば負けることは分かっていたため、日本から見れば満州は対ロシアの防壁となる。

 

以上のことから日本は満州を手放せというアメリカからの再三の要求を跳ね除け、太平洋戦争へと至った。

 

もちろん、これらの例は正しいわけではない。

 

こういうことができれば記憶しやすいというだけだ。

 

受験に有利というだけ。

 

だからとても重要で、このように解釈できるかどうかは、その分野に興味があるかどうかによるということだ。

 

そして、このような理解の仕方を編み出せれば、その範囲の知識は強固に定着する。

 

理科と社会は勉強時間をあまりとらない教科だが、だからこそ興味を持てるかどうかが鍵になる。

 

興味の持てない事柄を数冊分も覚えるのはあまりに苦痛である。

 

文理選択は、もちろん数学も重要な要素だけれど、理科と社会も同じかそれ以上に重要なのである。